少女仮面(シアタートラム)
少女仮面
2020.2.8
友人から譲ってもらったチケットで。
ストーリーを調べずに行ったけどすごくよかった……
雑然とした倉庫裏のセットに若い俳優さんがたくさんいるのを見て、たまたま最近行った目[me]の展示を思い出して不穏に感じたけど杞憂だったね
唐十郎の作品は赤テントでビンロウの封印を見たきりだけど、謎の老婆と時代錯誤なファッションの女の子が出てきて安心した
宝塚の女……最高でした 役に入り込んだ美しい女と、錯乱して甘粕中尉の幻覚を見る悲しきナマの女の対比……
舞台にほんとうに水が張ってあるし、水道もあるし……面白かった!
無題
物を失くす。物を失くす。そりゃもうすごい、失くす。
しかるべき場所に行けばしかるべき病名がつくだろうというくらいにわたしの手元からどんどん物が逃げていく。
いまさっきも、電車に乗るときにタッチしたはずのSuicaが降りるときにはどうしても見つからなくなって、駅のベンチに座り、大量の書類を出しながらリュックサックをひっくり返すはめになった。
どうして毎度毎度、先ほどまで手にしていたものが消えてしまうのか。
まずわたしは手もとに全然興味がない。いまどのポケットに何が入ってるのか全然わからない。持ち物に興味を持つことから始めたい。
で、これ失くしそうだなあとまで思う。絶対失くすなあ、普通のひとはそれでわかりやすいところにしまったりするのだろうけど、わたしは何もしない。
ので、失くす。
単純明快な話である。わたしは失くすことを予感して何も対策しないから失くすのだ。
おわり
ちょっぴりかわいくねむたいよ
刺青が好きだ。ピアスも好きだ。ひいては化粧も染髪も好きだ。
手をいれていない肉体はあまりかわいくない。と思う。穴も開いてないし、みんな同じ髪の色をしているし、肌だってがさがさと赤い斑点がいくつもあるし。かわいくあろうとする行為が好きで、刺青はその最たるものだと思う。だって皮膚の上に柄が書いてあるなんて、とっても素敵だと思わない?
推しの右腕は真っ黒だ。カバーに次ぐカバーで、最初に入れていた肩の蝶々などはいまもう、どのあたりにいるかわからない。ライブに行くたびにどんどん人間離れしていくその右腕を、私は好ましいなと思う。推しのことはちっともしらない。(ステージを降りた彼のことについて、私はほとんど興味がない。見せたいものを見せてくれる推しならば、わたしも見せたいものだけを見てあげるべきだと思うので。)が、どんどん皮膚に柄を入れるその行為が、自らの肉体を好きになる努力だと思えて仕方ないのだ。これは勝手な私の妄想なので推しはそんなことないかもしれないが。
先日7つめのピアスを開けた。とてもかわいいと思う。あまり好きになれない肉体位だったが、最近だんだんと愛おしさが増す。軟骨に開けたピアス穴は全然安定せず、今日も膿と血を流し続けているが、そういうところもかわいい。
かわいくなりたい。私が私をきらいになってしまったら、誰がわたしのことを好きでいてくれるだろう?
役に立たない子宮について
友人が子を産んだ。
そして、友人が中絶した。
おれにとっての子宮は、目の上のたんこぶだ。
なんだかわからないが、月一で体調不良と出血を持ってくる。お前は誰だと聞いても答えぬがただただチクチクと痛い。
生理が軽いからか、その日までは静かにさも、いないですよと言わんばかりのお前が、生理予定日が近くなるとドクドクと波打ち、お前は死んだほうがいい!なぜ生きているのか?おい、やくたたず!などと罵倒してくるのはなんでなのか。
問うても答えは返ってこないくせに、早く死ね!と正確に発音する、迷惑な隣人だ。
胎をつかってこどもをつくる。
おれにとって考えられぬほどグロテスクな行為だ。しかしそれが、それこそが人権なのだ。
結婚、と口に出すとおれは憂鬱の海にのまれる。おれは結婚できない、できなかった。
おれは、おれは誰かに認めてもらいたいのだ。それはたぶん。母親だ。
何をしても認められなった、というのはおれの勝手な妄想なのだろう。が、しかし、おれは認められたい、おまえは変な子ではなくまっとうなのだと、きちんとした人間なのだと、おれは認められたいのだ
さいきんの幻聴は「早く死ね」だけれど、小学校くらいまではずうっと「障碍者!」と聞こえていた。おれが「そう」でない確信はなかったし、今思えばおれはあまり健常者ではなかった。そうでない、おれはまともである、おれは健常者だ!、と、おれは子宮を使って照明したがっているのだろうな。
けしてこどもを生んではいけないタイプの人間である。
おれは一生まともにはなれぬ。
おれの人生はめちゃくちゃだ
おれの人生はめちゃくちゃだ。
このしょうもないブログを書くために、おれが費やした時間はどのくらいだと思う?
30分だ。じつに30分!
人生の貴重な余暇、何物にも代えがたき尊い時間。おれのような社会に飼われている畜生にとって、あまりに貴重で、翌朝のおれが悪魔に魂を売ってでも眠りたい時間だった、30分!蒙古タンメン中本なら6つできていた。カップヌードルなら10個もできていた。恭しいほどの時間だ。
まずパソコンが立ち上がり、何の役に立つのかもわからぬアップデートをおこない、インターネットにつながらないとほざき、ゆっくりゆっくり老人のようなスピードでその支度を終えるのを、おれはただただ酒を飲みながら阿呆のように待っていたのだ。この、一銭にもならない便所の落書きを書く、たったそれだけのために!
おれの人生はめちゃくちゃだ。
働いても働いても仕事が終わらない。毎日誰かしらから催促があり、おれはただただすみません、もうしわけありません、確認中です、調整しております、無能な阿呆の真似をする。
おれをとりまく人々のことは、嫌いではない。もっといえば、彼らのことは愛しているし、おれのことも愛してほしい、だからおれは自分のキャパシティなぞとっくに超えてもにやにやと笑い、おれのせいでなくとも謝り、どんどん神経をすり減らすのだ。そのたびにおれの尊厳とかいうらしいしょうもない自尊心はどんどんすり減り、おれはこんな文章を書くはめになっている。
営業の仕事なんてものはどんなバカにだってできる、とおれは常々思っている。
むしろバカ向きの仕事だ。技術も才能もないバカがやる仕事だ。おれにはそれしかなかった。しょうがないのだ。斜に構えていると言われた。冷めていると言われた。なにかに夢中になれずに生きてきた、つまらない女だ。おれは愚かなので、就職してからじぶんの手のひらを見て、なんにもないことに気づいたクチだ。愚か、愚かとしかいいようがなかった。それまで私だと思っていたものは、しょうもない、お祭りの屋台で売っているアクリル製の宝石だった。何の価値もなかった。お酒を飲めることも、好きな音楽も、テストでカンニングする術も、知らない人にノートをかりる交渉術も。わたしにはなんにもなくて、だからこうやって営業職になんとかすがりつき、自分のせいじゃないことにペコリペコリと謝るのだ。
二日酔いの話
三連休初日に酒を飲んだ。そりゃもうしこたま飲んだ。楽しくなって、眠くなって、声が大きくなって、自分が何をしゃべっているかもわからないのに、どこまでも愉快、愉快愉快……足はふらつき、気づいたらラーメン屋にいた。味などわかったもんじゃない。あったかくてしょっぱくて、世界でいちばんおいしかった。
翌日、目覚めた瞬間に強烈な喉の渇きがあった。こういうときは大抵まずい。立ち上がると、視界が一瞬遅れる。まだ酔っぱらっているのだ。麦茶を浴びるほど飲み、シャワーを浴び、排泄を行うあたりで吐き気を感じる。なにも出ないだろうと念のため便器と向かい合って高をくくったわたしの目の前で、ものすごい量の胃液が出た。
一日中だるく、食欲も沸かず、水すらまずく、天気もいいのにふとんからまともに起き上がることもなく、三連休をふいにした。もう二度と酒なんか飲まないと思っていた。
金麦、おいしい
一番好きなお酒です。
無題
「体中の血管にカスタード・クリームが詰まったような寝起き。全身すべての細胞がさらなる睡眠を要求するのを宥めすかし、気だるいままに体をようやっと起こす。朝食のパンは質が悪く、喉に引っかかって嚥下するたびに窒息しそうだ。テレビでは隣国よりミサイルが発射されたニュース、画面に映るのはまだ少年の面影すら残した彼の国の独裁者だった。苦いだけのコーヒーを飲みくだし、見飽きたニュースにリモコンで別れを告げ、ミサイルとは無縁の社会生活へ向かうため立ち上がった。」
2017年より