まだ息をしている

死んでねえだけだよ 酒をのんだら書くブログ

役に立たない子宮について

 友人が子を産んだ。

そして、友人が中絶した。

 

おれにとっての子宮は、目の上のたんこぶだ。

なんだかわからないが、月一で体調不良と出血を持ってくる。お前は誰だと聞いても答えぬがただただチクチクと痛い。

生理が軽いからか、その日までは静かにさも、いないですよと言わんばかりのお前が、生理予定日が近くなるとドクドクと波打ち、お前は死んだほうがいい!なぜ生きているのか?おい、やくたたず!などと罵倒してくるのはなんでなのか。

問うても答えは返ってこないくせに、早く死ね!と正確に発音する、迷惑な隣人だ。

 

胎をつかってこどもをつくる。

おれにとって考えられぬほどグロテスクな行為だ。しかしそれが、それこそが人権なのだ。

結婚、と口に出すとおれは憂鬱の海にのまれる。おれは結婚できない、できなかった。

おれは、おれは誰かに認めてもらいたいのだ。それはたぶん。母親だ。

 

何をしても認められなった、というのはおれの勝手な妄想なのだろう。が、しかし、おれは認められたい、おまえは変な子ではなくまっとうなのだと、きちんとした人間なのだと、おれは認められたいのだ

 

さいきんの幻聴は「早く死ね」だけれど、小学校くらいまではずうっと「障碍者!」と聞こえていた。おれが「そう」でない確信はなかったし、今思えばおれはあまり健常者ではなかった。そうでない、おれはまともである、おれは健常者だ!、と、おれは子宮を使って照明したがっているのだろうな。

 

けしてこどもを生んではいけないタイプの人間である。

おれは一生まともにはなれぬ。