我々は女子高生がいかに残酷だったか思い出さねばならない
女子高生だった。
多くの女がそうであったように、わたしはかつて女子高生だった。いまとなっては記憶の彼方の日々は、甘くうつくしいだけではなくたしかに若い新陳代謝による生臭いにおいもあったはずなのに、わたしたちはもうそれを感じることはできなくなっている。
女子高生だった。
あのときわたしは間違いなく世界でいちばんうつくしかった。わけもなくそう思わせるのは、残酷にもわたしたちのうつくしさはそう遠くない未来に奪われるのを知っていたからではないかと思う。ぴんと張った肌が、翌日には消えている紙で切った傷が、薄くさした頬紅が、煙のように消えてなくなるその日は、十年、いや五年後、はたまた明日かもしれないと知っていたからこそ、わたしたちはなんでもできた。
女子高生だった。
――何故神は まず若さと美しさを最初に与えそしてそれを奪うのでしょう?
女子高生だった。
政治より社会より、わたしのいちばんの関心ごとはスカートの折り目だった。誰よりただうつくしい折り目を、わたしの膝上に飾りたかったのだ。テレビのむこうの爆弾も、わあわあと喧しいオジサンたちも、わたしの世界にはなんの関係もなかった。
女子高生だった。
いまでも時々、あの文化祭の前のにおいを思い出すことがある。段ボール。のり。マッキー。だれもが浮かれて、ゴム風船があちらこちらに転がっていた。身から沸き立つ高揚感で、上履きのかかとが三ミリだけ浮いている。おまつり。スカートが短すぎるとわたしを追いかけ回していた生活指導の先生も、あのときだけは寛容だった。
女子高生だった。
母校にいってみたいなとたまに思いはするのだけど、鏡に映ったいまのわたしに耐えらえる気がしないのだ。わたしはまだうつくしいか。